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なぜ首都圏、関西は成績上位層が多いのか

 人口が違うので、ここは絶対数の話ではなく割合の意味。例えば、「中3生1000人あたり、高1範囲をもう終了させている人は何割いるか」という話です。​​​まず、生物としてあちらの子供が特別に賢いとは思えません。にもかかわらず、都会の方が先々進めている中3は多い。理由は予想通り『環境』、つまり業者の密度と親の意識、でしょう。

 山手線でぐるっと一周し駅看板、広告を見れば、さすが都会だなと思います。今現在保護者、という人達も、あちらでは十代のうちからそれを見て育ってきたわけです。それに対し地方は、毎年2月、3月頃にテレビCMで賃貸アパートの斡旋に混じって、いくつかの塾が新入生募集の広告を流すくらい。それも三ヶ月無料とか、安っぽいのやってる(商品なのに無料で提供するのを、安っぽいと表現しています)。だいたい、身近の同級生も自分とそう大差ありません。「桜蔭中の入試問題をコツコツ解いてる小6」、「高2範囲の数学IAIIBまで予習が済んでいる中3」、そういう同年齢が、皆さんの周りにいたでしょうか。ま、いませんよね。私の周りにもいませんでした。私自身もそんなことはできなかった。小6で同じクラスに「宝塚に進みたい」と言ってた女子はいましたが…レッスンも受けず、呑気だなとは思ってました。その後、希望が叶ったのかは分かりません。

 先々まで予習済みの人には、私も高1になって初めて出会いました。関西圏で第一、第二、第三志望まで落ちて、しょうがなく「函館ラサール高校」に入学した同級生です(当時、ラサール中学は未設置)。一学年三百二十人(しわさんじゅうに、ですよね、南高と同じです)、うち二百人弱が寮生、残りが自宅生。高1の担任があるとき雑談で言います。「毎年、関西から十人ほどここに入ってくる、その連中は全員、もう高1範囲まで大阪の塾で済ませてるから暇だろう。最初は貯金があるから余裕で高得点だけど、その後サボるヤツと努力するヤツと二つに分かれる。成績も分かれる」と。

 その話を初めて聞いたとき、ああ、やっぱりそうなんだと実感します。むしろ、成績表でしか判断できない担任よりも、共に生活していた私の方が強く感じたかもしれません。「二つに分かれる」の方ではなく「大阪の塾で済ませてる」の方です。寮生は名字のアイウエオ順に第一自習室、第二自習室、…と、多分第七だか第八だかまで分割され(例えば渡辺君なんかは、最後の自習室に数人いたはずです)、それを仮に軍隊風に呼ぶなら「生活を共にする一個中隊」なわけですが、私と同じ自習室にひとり大阪出身の人がいて、その人が言ってたからです。「なに言うとんねん、これから学校で習う箇所なんて、去年やってもうたわ…」。他の自習室の関西出身者もやはり同様。何故そこまで詳細が分かるか。それは簡単、寮生だからです。長時間をともに過ごすから、諸々の話をお互いにするわけです。みなさんは高校生の時分、家族ではない人と3年間一緒に生活したことはありますか。いても部活動で住み込み、離島から進学、くらいでしょうか。自習室は二十人の小部屋から四十人程の大部屋まで色々でしたが、寝室は百人部屋です。1階が百人、二階はちょっと少なかった。一部屋百人というのは、ゆとり教育以前の学寮と、あとは潜水艦くらいでしょうか。共同生活は距離も近く、情報交換も密。

 話を「高校入学時点での差」に戻します。​こっちは田舎中学から、私を入れた学年最上位5人が受験し(女子はともかく)、私ともう一人しか受からず、進学したのは結局、私だけでした。寮生は全道と東北各地から、それなりに地域の最上位層がやって来たはずです。鼻息荒く。なのに、大阪勢は「池田に落ちたから来た」、「洛星洛南東大寺は自分には難しい…」なんて言ってるわけです。一年先までやるのが当たり前の関西ですから、もっと凄い同級生がいっぱいいて、押し出された、と。道内出身者の中で、関西勢並みに予習していた人など私の知る限り一人もいませんでした。

 ここまで読んだ人は「首都圏出身者の話をなぜ書かない?」と思ったかも知れません。書けません。何故なら関東出身者はほぼゼロ人だったからです。もしかして数年に一人くらいはいたかもしれませんが。高校設置数が違うので一概には言えませんが、東京の上位層からは選択肢にすらならず、関西勢には最後の滑り止めと見なされ、道内各中学からは意気揚々と進学する、これがあのころの函館ラサール高校の、受験界での国内ポジションでした。当時の情報網では、いたしかたなかったと思います。こっちは受験勉強を始めるに当たり、それまで通ってた近所のゆる~い塾を辞め(受験勉強に役立たないから)、『大学への数学』、『高校への数学』なんて当然置いてない田舎本屋で、勘を信じ買い求めた難しい問題集だけを頼りに一人で受験勉強したもんです。入学後に寮の自習室で関西人の話を聞き、驚きはしたけど、「都会と田舎が同じはずはない」という自分の予想が当たってもいたわけで、納得しました。寮に入って良かったことはいくつもありますが、一つはこれです。都会は田舎を待たないのです。田舎モンと都会に生活する人とは、同じように見えてもその実、周回遅れが発生しているのです。それを肌で理解しました。父上、母上、あのときの寮費を感謝します。

 ただ、高校内において、道内出身者で高成績という寮生の中に先取り派は皆無でした。自習室しか勉強机がないので誰がどういう勉強をしてるか分かるのです。だって、横を通れば見えるのですから。​先までやるという文化、先まで指導できる能力を持つ教師、都会の水準を知る保護者、この三つとも全道的に欠落していたのだと思います。私にしても、「中学生にもどんどん先まで進ませる塾」が仮に近所にあったとして、そこに入るか、と言われたら、中2までなら可能性はあったでしょうけども、気づくのが中3時点なら高校入試範囲だけ(つまり中学の復習)に集中したかもしれません。

 ただしこれは昔話。今現在、余裕のある中3が高校入試にかまけて高1範囲を予習してないなら、それは余りに不勉強。保護者が「分かった上で足踏みさせてる」というのなら、それも一つの方針でしょう。ただ、「公立中学生ですら中3上位層が高1範囲を予習するのは、都会では珍しくない」のを知らず、高校進学後、高1からの速いペースに追いつけず、高2くらいで成績不振の限界に到達し、やっと、この文章を、今、読んでいる、というのならなんともはや。

田舎は学習に不利という根拠の一端(データは文化庁)

 出典は「令和4年度 文化芸術による子供育成推進事業に関する調査研究 報告書」

↓文化庁のサイトにあります。https://www.bunka.go.jp/seisaku/geijutsubunka/shinshin/kodomo/ikuseijigyo_kensho/pdf/93878601_01.pdf

「文化芸術に関する習い事を行っているか」について、アンケート対象たる子供の所在自治体規模別にみると、「今 習っている」の割合が「中核市・政令指定都市・特別区」は、 規模の小さい「町村」、「一般市」と比較して割合が高くなっています。

p.80 図表 3-10 【自治体規模別】文化芸術に関する習い事 をご覧ください。

つまり、都会の子供は文化芸術の習い事を受けやすいのです。なぜなら、習い事は民間がその多くを提供するから。文化、芸術でも大きな差があるのですから、ましてや…。

「美術館での展覧会に行く頻度」は、「中核市・政令指定都市・特別区」は「町村」や「一般市」と比較して割合が高くなっています。

p.81 図表 3-12 【自治体規模別】美術館での展覧会に行く頻度 をご覧ください。

都会もんが美術好きな訳ではなく、公的設備が充実しているからでしょう。

​ただし劇場については、都会と田舎の差はありません。

調査対象はp.75にあります。1201人と少ないのが残念。もっと大規模に調査すれば格差が露呈するので、規模を押さえたのかもしれないと、個人的には推測します。

中高一貫は、実は高校の学習進度は速くない。だからこそ中1,中2で…

 たまにこう考えている保護者に出会います。「中高一貫って、毎年、公立の12か月分を10か月で済ませるなんて賢いんですんねぇ」と。そういう方々に、私はこう答えるわけです。「物理なんかは高3になると、南高は北嶺高校より先の単元やってますよ。化学はどちらも同じくらい遅いですけど。あっ、化学はSPが最速ですねぇ。もちろん年度にもよりますが」。

 理科の話はそのうち書くので今は数学に戻します。私が調べた限り、灘、桜蔭などは別格なのでひとまず外しますが、一般的に全国の中高一貫校でも、公立高校より常に一割速いスピードでは授業していません。高校3年分を3年かけてやってますよ。例えば札幌のとある私立中高一貫男子校なんかはそうです(当塾に勉強しにくる私立男子校は一校しかないですが。細かい進度は私のブログに記録が残っています)。

 むしろ、南高の方がスピードは猛烈に速い。毎年5月末~6月初めに年度初回の定期テストがありますけど、出題範囲は高3は「数Ⅲ積分」です。高校教師なら「どうせ複素平面や2次曲線を後まわしにしての話だろう」と推測するかも知れません。北高(長崎と同じで、札幌も東西南北方式)なら確かに「複素平面」を高3の9月に習い、理系全範囲終了となり、そこからやっと受験勉強開始となる訳ですが、南高が「複素平面」をやるのは高2の9月、遅い年で10月です。ですから、高3の6月時点では積み残し無しで全範囲終わっています。ちなみに同時期の、南高高2の出題範囲は「数Ⅱ微分、数B数列(数学的帰納法、漸化式含む)」です。この高2進度から考えれば、ちょうど一年後に残り範囲全部終わるでしょう。だから公立であっても26か月で、高校36か月分の授業は一応可能です(演習は生徒任せですけど)。ここまで、公立の進度を褒めていると読みましたか?

 そうではありません。私立中高一貫の強み「その1」は、高校範囲3年分を圧縮することなく3年間投入し、速成せずにじっくりやっている点です。

 ではなぜ高3の一年間を受験勉強に充てられるのか。簡単です。圧縮しているのは中学期間なので。中1~高3の6年間でスカスカなのは、相対的に前半。だから中学の3年間で、文部省の言う高1最後の単元までを終わらせます。圧縮するのは最初だけ。中学生のスカスカな3年間に4年間分を学ばせる。これが強み「その2」です(ドルコスト平均法みたい?)。

 冒頭に書いたように「中高一貫って、毎年、公立の12か月分を10か月で済ませる」のではありません。学習内容、単元の終了時期で言えば「私立中3=公立高1」が最大のポイントで、あとは無茶せず巡航速度で毎年一年分ズレたまま進むから「私立高2=公立高3」です。

 高校生に対し、数Ⅲ、物理、化学を短時間で済まそうとするから学力学級崩壊が起こる。むしろ、難しい内容は速くやってはいけないでしょう。私が見た中高一貫の中には、中2で数Ⅱ「指数対数」をさせている学校がありました。当然、学年最上位層以外はボロボロ。速けりゃいいってワケではない。

 もちろん「上記の内容はとっくに知っている、ただ自分の子供は中学範囲をやっている、学校でもそうだし通わせている塾でもそう。どうすれば通ってもいない北嶺中や立命館中SPみたいに3年間で4年分させられるのか」という方が、札幌にも僅かとはいえおられるでしょう。私からの回答です。

「それらの中学校が使用中の教材(※)と同一物を生徒に渡し、私は毎週授業しています」と。ただし進度に個人差があるため一斉授業は不可能、だから個別指導一択です。公立中、国立中に通いながらでも諦めることはありません。もちろん、高校入試は大丈夫、という人向けの話。
(※)『体系問題集』(数研出版)、1,2と代数、幾何の合計4冊。市販品と学校用とは書名が同じでも中身は別物。本屋さんで見かけても、購入はよくよく考えてからの方がいいかと。学校用非売品のため塾生にはこちらから配布しています。

生徒の成績が上がると困る塾、都合のよい塾

 経営側が人件費を過度に抑えることで利益を出す法人もあります。生徒側からすればそれで困るのが、成績アップ妨害が発生すること。生徒からの質問に答えられないと講師として恥ずかしいから、生徒には勉強が苦手なままでいて欲しい、とか、または、生徒の成績は低いままの方が解説も楽だ、成績アップなんてしなくていいと考える者も発生します。特に人件費を削るとそうなります。応募者は授業に自信があればあるほど、そんな情けない環境を忌避しますから。また、退塾率などの営業数値を必要以上に持ち出し学生バイト、社会人講師をギュウギュウ締め付ける事業者も当然存在します。この場合、現場の担当者は萎縮してしまい、クラス水準に合わない生徒でも、申し訳ないと思いつつ手元にいつまでも置こうとします。もし他クラスに移られたら講師の評価が下がるのですから。これが生徒本人の成績アップの妨げになる。下位層を引っ張り上げるならい良いのですが、上位層に足踏みさせるなんて、馬鹿馬鹿しい限りです。

 私の場合、生徒の成績は良い方が解説も楽だ、だから早く、速く成績アップして、です。私も楽したいので。勉強が苦手な生徒も受け入れてはいますが、本人に意欲のあるのが前提です。中高生向けの託児所ではないのです。

やる気を起こさせるのは難しい

 ファミレスに行くと、レジ横に「家庭教師のご案内 やる気を引き出します」なんていう広告を見ることがある。もし本当なら、そのスキル、ノウハウはかなり価値がある。そして中高生ではなく、社会人相手に販売する方がずっと儲かる。何故なら法人のほとんど全てが、従業員の意欲低下に困っているから。「仕事のやる気を高めてくれるなら、高額のコンサルタント料を払う」企業がほとんどでしょう。だって一千万円払って、二千万円儲かるなら(売上ではなく利益ですが)得だから。業種にもよるが、やる気が倍になれば法人の利益は多分、三倍、四倍にはなる。被雇用者であっても短期間では手取りはな~んにも変わらないが(給与は固定費なので)、五年くらいで見るなら「健康と意欲が源泉の全てだったな」と思う。逆に意欲が半減したら、公務員でもないかぎり、色んなものが簡単に半減する。高校生であれば、やる気を失ったら成績は急降下、体育会系の部活動なら体を動かさなくなる。大人でも、スポーツ選手や職人も、そうでしょう。

 と、当たり前の話をつらつら書きましたが、他業者がこの「勉強のやる気を引き出します」というノウハウを販売するのなら、それはそれでいいと思います。価値はあるので。ただ私がここで書くのは「私はその手のノウハウは持ち合わせていません」です。むしろ、勉強に関心が無いのに意欲だけ他人から焚き付けられても苦しいだけではないのか、と思っています(さらにここで書いてます)。私自身、勉強は好きだからしてきたのであって、高校入試のために中3でやってた受験勉強から始まり、今でも問題を解いたり、スッキリと解説する、一つの問題に対し解法を複数示す、そんな綺麗さが好きだから仕事にしています。そうでなければ続きません。嫌々やってるのではありません。中高生の時分から、別に同級生に勝つために勉強してたのではありません。褒められたくて問題を解いていたのではありません。自分の頭の中をスッキリさせるのが心地よく、まぁさぼりさぼりではありましたが、問題を解いたり解法を整理分類し磨いてました。ですから、いまでも「受験戦争」という言葉が理解できません。何をそんなに戦い争っているのやら。

 今、私が販売するのは、問題の解き方です。広く心構え、参考書選びのアドバイス、日々の勉強法も含めた、大学入試の対策、です。国公立の前期、後期なり私大なりの、数学、物理、化学の解法です。本人が勉強する意欲をすでに持っているのは前提で、「自力でやってきたが、上手くいかない」、「気持ちばかり上滑りして、何に取り組めばいいか分からない」、「第一志望校に入るためには、学年順位を今の三十番から一桁まで上げないとならない」、という人です。もちろん意欲をすでに持っている中高生などごく少数。だからこそ小教室で充分だし、その方が学習効率も上がります。

 ​お客様でない人をお客様に変える努力(?)なんてしません。そこについてはコストを掛けません。「関心を持っていない人に対し、購買意欲だけを持たせる」のは、大箱教室をもう作ってしまった法人ならやるかも知れません。ただ、私がする仕事ではない。だから「子供に勉強するよう言って欲しい」と保護者に言われると、「仮に本心から嫌なことであったなら好ましくない症状が心身に現れますけど」と答えることもあります。「あなたの授業内容が難しすぎ、または簡単すぎて、子供が興味を失っている」という指摘なら当方の失敗ですから、すぐにでも軌道修正します。「~は本人の入試に必要ない」、「~を優先してほしい」という要望は、むしろ教えて頂きたいです。本人に合わせて授業内容を変更するのはお手のものですから。授業での解説を通し、「以前と違って解けるようになって来たら苦痛も減ったのか、やる気が出てきた」、こう言ってもらえるのが理想であり、また、精一杯です。

興味無く勉強したくない領域は、学習すれば充分

 好きなことだけして人生を全うできるわけでもなく。関心の無い分野でも必須なら、避けるわけにもいきません。報告書を作成する、家賃を払う、文系なのに記述式数学まで要る、興味が無いのに古文まで学習する、とか。私は何も、面白いことだけをすればいいと書いた事もないし、思ってもいません。自らの志望や指向、嗜好があり、それの達成に付随し付いて回る「関心の持てないその他諸々」を克服するのは、前向きな努力でしょう。それを避けてばかりでは向上もしないし、むしろ「逃げの助長」です。

 言葉の使い分けですが、個人的には次の使い方をします。『勉強』は好きでやるもの、『学習』は検定試験に受かるためにするもの、『教育』は社会の要請に応じて施されるもの。辞書的な意味とはズレていますが。

 で、第一志望があってそのためにはさほど関心の無い教科、科目もしなければならないなら、それは「勉強」ではなく単なる「学習扱い」にすればいいのでは、そう思うのです。興味が無くても解ければいい、それなら必要事項の暗記と、解き方の技術を学ぶだけなので。関心も無いのに好きになれと、そう言われるとつらいのです。例えば大学入試の数学は、多くの人にとっては点が取れればそれで良いのです、数学科志望者は割合としてはほぼ0なんですから。技術、記憶、経験の問題であって、それならセンスがなくても対応できる高校生はずっと増えます。雑に解いて良い、というのではなく、他人から教えてもらいそれを緻密に消化吸収すればいい、ということです。理系だって、古文や社会はあまり力が入らないでしょう。それと同じです。センスが無いなら無いで、手を打てばいいだけのことではないでしょうか。

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